【第十章】 256 壁と山

 

YUKEN-BK-NEW 022 

 

 「雄ちゃん!オレのこの嬉しそうな顔、なんでや思う?」

 

 二月の昼休み。外はキンとした寒さだが、よく晴れている。だが、雄拳たちは

教室に留まっていた。寒さが嫌で外に出ないのではない。原因は光宏だ。

 

 「めんどクサイなあ、お前…。朝からずっとソレゆーてるやん。なに?」

 

 雄拳がウンザリした顔で訊く。

 

 「いや、オレ二時間目から来たやろ。

その後カエル婆に呼び出されたから、時間なかってん」

 

 言い訳をする光宏の顔が、ずっとニヤついている。

 

 「いっこゆーたろか。お前の嬉しそうな顔、エロいねん」

 

 イッシンがニコリともせず、苦い顔でつぶやいた。

 

 「分かった、分かった、ゆうわ。サイモンの新しいカードポン、知ってるよね?皆さん」

 

 「知ってるよ。“暗黒の邪王神-VOL.11”やろ。

今日発売やから、みんなでカドヤ行くねやん」

 

 ケイゴが皆を代表して答えた。

 

 「そう。この辺は田舎やから…。大阪市内では一足早く、昨日発売でしたあ〜」

 

 ――え゛え゛っ!?雄拳、ケイゴ、イッシン、マサキが、

ほぼ同時に似たような声を上げた。

 

  皆の注目を一身に浴び、光宏が自分の机の中に手を入れた。

 

 「ほらね

 

 光宏は、上に向けた左右の手のひらを、持ち上げてみせる。カードだ。

片手に一枚ずつ、カードが乗っている。

 

 「うわあーーッ!何ソレッ!?」

 「ソレ、アレやろ!?」

 「ウソオーーーッ!!」

 

 皆が悲鳴に近い叫び声を上げる。それは普通のカードではなかった。左手の

一枚は虹色に光り、右手の一枚は金色に輝いている。

 

 「そうです。こっちがブルテリモンのウルレアで、こっちが噂の新登場!!

ジャオウモンの※シークレットレア、ゴールドエッチング仕様!!」

 

 ――うわあぁぁ……。皆がため息とともにカードを見る。そこに称讃や祝福の

色はない。あるのは羨望と嫉妬と落胆…。

 

 何も光宏に先を越されたからといって、落胆することはなさそうだが、事はそう

単純ではない。“誰がソレを一番に出すのか?”という、これからしばらくは続く

はずだった楽しみを、理不尽に奪われたのだ。

 

 「でも…昨日一回やっただけやろ?」

 「いや、それがな。カーさんが意地なって、二千円分以上やったから……」

 

 一瞬、場を沈黙が支配する。

 

 「…なんかソレ、反則っぽない?」

 

 ケイゴが真顔でつぶやいた時、廊下側の窓が音を立てて開いた。

 

 「うわわっ!!」

 

 光宏が、慌ててカードを机の中に隠した。

 

 「雄ちゃーーん!ちょっと……」

 

 窓から顔をのぞかせたのは、隣りのクラスのチュウ、こと末松 有だった。

 

 「ビックリするやろーーッ!チュウ!!」

 

 チュウは叫ぶ光宏を無視して、雄拳に向かって手招きする。

 

 「おう、なに?」

 

 雄拳が席を立つ。ちょうどいい…。もうすこしカードを見てみたい、とも思ったが、

なんだかそれも口惜しい。気分を変えたかった。

 

 「ちょっと話あんねん。大事な話…。こっち来て」

 

 雄拳が廊下に出ると、チュウは背中を向けて歩き出す。トイレの前を過ぎ、

人気のない渡り廊下の隅で、足を止めた。

 

 「なに、なに、話って、そや!チュウ知ってる?ミッチャンが……」

 「ああ、サイモンやろ?ちゃうねん。もっと大事な話…。ビックリやで……」

 

 ――ああ……。だが雄拳には正直、さっきのサイモンショックを越える

話であるとは思えない。

 

 「…ゆうで…。あんな、佐倉な……雄ちゃんの事好きやで」

 

 瞬間、時間が止まった。喉の奥でキュッと音がした。本当に息を呑んだのだ。

今、言葉を聴いて理解したはずなのに、その言葉をうまく頭の中に並べられない。

 

 

 雄拳の頭の中から、あれほど好きだったサイモンが、跡形もなく消え失せていた。

 

                             ・・・続く

※シークレットレア=カードや食玩などで、もっとも当たりにくい希少なアイテム。

 ちなみにゴールドエッチングとは、特殊な箔押し印刷で、箔押し面が鏡面のよ

 うに光る。

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【第十章】 255 壁と山

 

YUKEN-背景 011 

 

 「ビックリするやろ?ミッチャンの作文…」

 

 夜の南山公園。枯れたベージュに色を変えた草の絨緞の上で、

雄拳は一気に話し終えた。

 

 父の様子がおかしい…。肩が震えている。

 

 「どしたん?…お父…」

 「ぎゃははははははっ!!さすがはミッチャン。なかなかのセンスや!」

 

 「えっ!?なに、なに?どーゆうこと?」

 

 問われて英二は、無理やり笑いをかみ殺す。

 

 「…いや、自慢話が多いのもアイツらしいけど、

自分がヤられる意外性を取りよったんや。ウケたやろ?」

 

 「えっ?…ああ、うん…けっこう」

 「なっ!ウケを優先しよった。オレの笑いの後継者は、お前やなくてミッチャンやな」

 

 雄拳はなんとなく、納得のいかない顔だ。++

 

 「なんか、話がよー分からんよう、なっていってる……」

 

 「そおかあ?ほな、訳のわかる話したろか。最後のな、『雄ちゃんに勝ちたい…』

ゆうのは、意外とアイツの本音やで」

 

 草の上に胡坐をかいていた雄拳が、スッと背筋を伸ばす。

 

 「そおかな……」

  

 「そらそおや。今お前はミッチャンの前に立ってる壁や。けっこうブ厚いな…。

…いや、てゆうか、お前そのものが壁ってゆうより……」

 

 「ああ、うん、うん……」

 

 雄拳が、伸びた背筋のまま首を前に出す。

 

 「アイツがな、ミッチャンが、自分の中に“壁”作ってるんや。

…雄ちゃんは強い……殺人キックは怖い、ってな」

 

 「うーん。そおなんかなあ〜……」

 

 「ほなここで、雄拳選手に質問!キミの目の前の壁は誰?」

 

 雄拳は首を元に戻して背をちょっと反らし、空を見上げた。

 

 「…そらやっぱ…キナミ?」

 

「そやんな。そやけどその壁もう、紙みたいに薄いかもしれんで。

……ホンマ、お父もよー分からんねん……」

 

 英二が腕を組んで首を捻る。

 

 「なにがぁ?」

 

 「いや…技の威力も、正確さも、スタミナも、お前が勝ってる。

スピードと防御も負けてはない。何で勝てんのかが解らん……」

 

 「勝ってるって、オレが?」

 

 「うん。こないだお父、キナミもサトーもミット受けたから、間違いない。

それが、サトーにはポロ勝ちやのに、キナミには勝てん。不思議やろ?」

 

 「なんでやろ?」

 

 「アイツの強さはな、理屈とちゃうねん。勝負の機微…あっ、難しいな。

センスがある、みたいな…。アイツ、スタミナ切れでフラフラなってから、

鋭いハイ蹴ったりするやろ?」

 

 「うん、うん。分かるけど、どーしたら勝てるやろ?」

 

 英二は少し間を置いて、楽しくてしょうがないという顔になる。

 

 「魔法みたいな名案はないけどな。全部!威力もスタミナもディフェンスも、

全部上げたらエエんや」

 

 雄拳の顔が輝いた。スッと立ち上がる。

 

 「名案やん。簡単や!もっと練習したらエエねや!!」

 「大正解!…やけど、久しぶりやからあと一個だけ」

 

 「うん…なに?」

 

 問い返す雄拳は、もう動き始めている。

 

 「そのキナミに、なんもさせんと勝った坂本クンは?」

 

 振り向いた雄拳の顔が、輝きを増す。夜の公園でもそれが分かる。

 

 「坂本クンはもう……どんだけ強いんか分からへん」

 

 「おう。壁ゆーより、山やな…。下から見上げたら、どこが頂上か分からん。

でもお前も麓におるんとちゃう。こんど闘ったらテッペン見えるよ」

 

 「ウソやん!ほんならもう、はよやろ、練習!!」

 

 「ヨシッ!今日お父、イキって詩人モードやったな。

チェーンジ!芸人モード!モノマネスパー。まずはキナミから……」

 

 英二も立ち上がり、目を眠そうにすぼめる。

 

 「ひっさびさ!顔マネスパーや!!」

 

 

 雄拳は、年季のはいった赤いグローブを手にはめると、

キナミの顔をした父に向かって疾っていた。

 

                                ・・・続く

 

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【第十章】 254 壁と山

 

YUKEN-BK-NEW 014 

 

 「じゃあ最後にもう一人…池永君。題名言ってから大きな声で」

 

 担任の井田が、最後の…声で、のところで笑顔を作り、小首まで傾げて見せた。

 

 ――やっぱ、キモッ!でもよかったあ……。雄拳は嫌悪し、直後に安堵する。

 光宏が指名されたのは作文の朗読。作文は書くのも苦手だが、人前で読むのは

もっと苦手だ。

 

 「へーーい」

 

 光宏が妙な返事とともに、半笑いで立ち上がる。彼は自ら手を挙げて差されたのだ。

雄拳は、羨むような、呆れるような、なんとも微妙な表情で光宏を見る。

 

 光宏は作文に限らず、何かの催しでも、朝のスピーチでも、およそ目立つ事なら

何でも積極的に打って出る。二人は、アニメや遊びの趣味はバッチリ合うが、それ

以外はほとんど対照的と言えた。

 

 「えーっ、タイトルは、“空手。殺人キックでズバババーン!”

 

 ――えっ!?…ああ……。雄拳はため息を漏らす。雄拳も、定期的に回ってくる朝

のスピーチで、空手の試合結果を言う事はある。他に話は思いつかないからで、その

結果を言うのでさえ恥ずかしい。

 

 光宏のは違う。彼のは基本的に自慢話が主流だ。情感を込め、時に身振り手振り

さえ交えて、熱演するのだ。

 

 「オレは雄ちゃんと一緒に空手を習っています。夜に学校の体育館でやってます。

空手にはいろんな練習があります」

 

 ――ええっ!?オレも出てくんの?雄拳は居心地が悪くなって辺りを見回し、

最後にそっと、隣りの佐倉 直を見た。

 

 気のせいかその表情が少し険しい。だがそれは気のせいではなかった。彼女を含め

クラスの中に、またいつものパターンか?という空気があった。

 

 「基本の練習があって、型をやります。それからミット練習です。ミットは箱みたいな

形で、中にクッションが入っていて……」

 

 ――アイツ、説明上手いなあ……。雄拳は思わず感心し、

いつの間にか聴き入っていた。

 

 「そのミットを一人が持って、もう一人が叩いたり、蹴ったりします。

雄ちゃんが持ってオレが蹴ると、ズバン!とイイ音がします……」

 

  ――ああ!やっぱり……。教室内があらためてそういう空気に包まれた時、光宏

は少し間を置き、ニヤッと笑った。

 

 「次に雄ちゃんが蹴ります。ズババババーン!というスゴイ音が、

体育館に響き渡ります。……殺人キックです」

 

 あちらこちらで笑い声が起きた。

 

 ――な、なにゆーてんの…ミッチャン……。完全に意表を突かれた雄拳は、

うつむいて唇を噛む。

 

 「殺人キックを受けるとホンマに死にそーです。実際に雄ちゃんと二回、

試合をしました。二回連続、一撃KOされました」

 

 そこで光宏はもう一度間を置き、ぐるっと辺りを見回した。

 

 「でも、いつかは雄ちゃんに勝ちたいです。

いや、勝ちます。それは運命です……オワリ」

 

 こんどは笑いだけではなく、拍手も混ざっていた。

 

 「ミッチャン!今ここで挑戦したら!?」

 

 イッシンが冷やかすように言い、ホッシーは手を叩いて喜んでいる。

 

 雄拳は、最後の“勝ちます”のところでピリッときた。首筋の感覚だ。だが、褒め

られっ放しで終わられるよりはずっと良かったと思う。

 

 

 呆れたり、焦ったり、ピリッときたり…。雄拳は、まるで試合の後のように、

ぐったりと疲れていた。

 

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【第十章】 253 壁と山

 

YUKEN-F-NEW.11 063 

 

 「おーい、雄拳スマン。背中の汗拭いて。…もう腕が挙がらん」

 「ああ、エエよ。そやけど冬やのに、そんな汗かく?」

 

 「アホウッ!手抜きなしで練習したら、こうなるやろ、フツー」

 「なんでぇー!オレも手抜いてへんって」

 

 汗まみれでしゃがみこむ英二に、答える雄拳は文字通り涼しい顔だ。

 

 二人がジャレ合うように話しているのは南山公園ではない。木之山小の体育館。

丸屋の支部の稽古だ。

 

 九月に発作的に参加した英二は、川嶋の支部に正式に入門して、もう三カ月になる。

 

 「仲のエエ親子やなあ……」

 

 丸屋が、冷やかすようで、半ば羨むような視線を二人に向けた。

 

 「いやあ、丸屋さん。この位やらさんと。

試合前なったらオレ、こいつのサンドバッグやし」

 

 「はははっ、なるほど。次の雄拳の試合はとりあえず三月の舞方。

四月以降にもいろいろありますわ」

 

 ――押忍!二人同時に返事をする。

 

 「ああ、それと玉井さん。大人もカッコついてきたし、若いのも混ぜて、

そのうち試合やりますわ」

 

 「へっ!?ああ…押忍……」

 

 丸屋の言葉に不意を突かれ、英二は一瞬呆けたような顔になる。

 

 慌てて着替えをすませた。――押忍!二人で挨拶をして、体育館を出る。

 

 「おおっ!外は冷房効いとるな」

 「そやから冬やし…。ほおーっ!来たときより寒い」

 

 「寒いーっ?オレは手抜きなしやから、ちょーどエエ」

 「またや……」

 

 英二は自宅に向けていたハンドルを切り、ショッピングモールの駐車場に入る。

夜の八時過ぎ。大型家電店にリカーショップ、飲食店。灯りは消えていないが、

もう閉まっている。

 

 「飯の前に一杯飲()っていこか?」

 「ああ!やる、やる!」

 

 車を降り、二人が向かったのは自販機コーナーだ。ジュースやアイスなどの

さまざまな自販機と、イスやカウンターテーブルが置かれている。

 

 「飯前やから炭酸は止めとけ。ハイ、お金」

 「うん。アリガト。…うーん、何にしょーかなあ……」

 

 「お前迷うもんなあ、いっつも」

 

 英二は寒くないと言っていたわりには、ホットコーヒーの紙コップを手にしている。その

まま少し離れた排煙装置のある喫煙コーナーに行き、煙草に火を点けた。

 

 「オーイッ!決まったぁ?やっぱスポドリかぁ…。

そや、雄拳!お前、佐倉 直好きやろ? 」

 

 時間が止まった…。雄拳は一瞬凍りつき、手にあったペットボトルを床に落とした。

 

 「ぎゃははははははははっ!!なんちゅーベタなリアクション。

当たりや!当たりが出たらもう一本や!!」

 

 雄拳はペットボトルを拾うと、一気に英二に駆け寄った。

 

 「ななっ…なにゆーてんの、お父!でっかい声で!…誰かおったら……」

 

 赤を通り越して青白くなった顔で、辺りを見回す。

 

 「誰もおるかいな、こんな時間に。……当たりやろ?」

 「…う…なんで、分かったん?…」

 

 「分かるわっ!お前の話、男しか出てこんのに、佐倉チャンだけ一日三、四回…」

 

 「ウソォッ…気づかんかった。なんかちょっと、おんなじ班やし…

あっ、お父!オレ今日見たでェ!組手でハイ決めてたやろ? 」

 

 「おっ!話変えてきたな…。まあエエわ。今日はこのへんにしといたろ」

 

 英二の顔に稚気が宿る。

 

 「ハイだけちゃうぞ、後ろ蹴りも一発入れたった。でもなあ、けっこう必死やで。

お父が一番ジジィやし、十キロ、二十キロ体重軽いねんから」

 

 二人の関係が少し変わっていた。雄拳はそれを説明できない。できないが

微妙な変化を感じ取った。

 

 「そやしお父、大人の試合もやるって、丸屋師範が…」

 「おお、そおや…たまらんな…。お前も次こそキナミに勝たんとな」

 

 今だ、と英二は想う。今、濃密で懐かしい時間の中にいる。二十年以上も前に、

仲間とこういう時間を過ごしたのだ。

 

 

 二人は紙コップとペットボトルで、音のない乾杯を交わした。

 

                              ・・・続く

 

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【第十章】 252 壁と山

 

YUKEN-BK-NEW 017 

 

 十二月の半ば。月曜日。暖冬が当たり前になった最近でも、今朝はなかなか

キリッと寒い。

 

 集団登校の列の中の雄拳は、気分が良かった。本当に寒くなると朝起きるのは

ちょっと辛いが、今くらいの季節はとくにいい。

 

 夏の稽古は、やればやるほど汗と一緒にエネルギーが流れ出ていくようだが、冬の

稽古は逆だ。やればやるほど身体が暖まって、力が湧いてくる。

 

 だから好きだ…。

 

 「オッス!」

 「おうっ!」

 

 何人かの級友と挨拶を交わし、席に着く。まだ始業時間には間がある。人も疎らだ。

 

 「雄ちゃん!オハヨーッ!!」

 「えっ!?…ああ、お…オハヨゥ……」

 

 顔を覗き込むようにして言ったのは、隣りの席の佐倉 直だ。雄拳は、くっきりと

した二重で、ややトビ色がかった大きな眼とぶつかりそうになると、慌てて眼を

逸らし、口ごもった。

 

 「スゴイやん雄ちゃん。昨日また優勝してんやろ?空手」

 「えっ!?何で?誰に聞いたん?…そやけどアレは……」

 

 彼女が言ったのは、昨日おこなわれた舞方の大会の事だ。雄拳が戸惑ったのは

不意を突かれたから…だけではない。そこに木浪健太郎がいなかったからだ。

キナミのいない中での優勝…。だが、そんな事情を彼女に話してもしょうがない。

 

 「さっき、校門のとこで、チューに聞いた。チューは池永に聞いてんて」

 「あ、ああ…そおなんや……」

 

 チューとは末松 有。雄拳とは一、二年の時に同じクラスだった。有は華奢で小柄

だが、すばしっこく、甲高い声でよくしゃべる姿がネズミに似ている。誰が付けたか、

名前の有をもじって、チューというあだ名で皆から呼ばれている。

 

 雄拳は鼓動を聴いた。自分のだ。情報元が有だったからではない。――イケナガ…。

佐倉は光宏のことをそう言った。気の強い彼女は光宏にかぎらず、ほとんどの男子

を名字で呼び捨てなのだ…。

 

 「なあ、雄ちゃん。私もダンスやってるやん。発表のイベントとか、

メッチャ緊張すんねんけど、空手の試合は?…ダイジョーブ?」

 

 佐倉は、最後のところでちょっと眉を寄せ、心配そうな顔を作ってみせた。

 

 雄拳は、試合どころではない。今、この瞬間のほうがはるかに緊張している。顔の

表面に熱い膜が張り、息が詰まる。まるでスーパーセーフを被っているようだ。

 

 「あっ…あやっ、試合前は…。始まったら全然。それどころちゃうし……」

 「ふうーーん。やっぱりスゴイやん。スゴイなあ、雄ちゃん……」

 

 佐倉は雄拳に顔を向けたまま、ちょっと身体を捻り、頬杖をついた。指の長い

のひらが、顔の下半分を覆うと、大きな瞳だけがそこにあるようだ。

 

 「いやっ!なんで!?…スゴないって!もっと強ならんと……」

 「そおゆうとこが、雄ちゃんらしい……」

 

 雄拳は激しく首を振って辺りを見回した。何故だか、誰かに聴かれたらマズイと

思った。知らないまに人が増えていたが、幸い誰とも目は合わなかった。

 

 その時、少し間の抜けた、始業のチャイムが鳴り響いた。雄拳にはその音が、

主審の“止めっ”のように聴こえた。

 

 

 残念なのか、ホッとしたのか、自分でもよく分からない。雄拳は、下ろしたまま

だったランドセルを手に取ると、少し乱暴に中身をブチまけた。

 

                               ・・・続く

 

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押忍!はじめまして!
ぶるーす小

この物語は、リアル果汁90数パーセントに、フィクションスパイス少々・・・な感じでしょうか。空手に限らず、日本全国に、雄拳はいっぱいいるのだと思います。全国の雄拳な少年たちと、彼らを見守る大人たちへ・・・。最後までお付き合いいただければ幸いです。                                                            英二

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