【 付録 】格闘閑話54 思う.想う.オモウ
※小説本文ではありません。付録のコラムです。
最近息子と話してる時なんかに、突然脈絡なく、
「釣り行きてぇーーーーッ!!」
と絶叫して、「オヤジ壊れたか!?」と思わせるのがマイブームです。また釣りか、と
思わないで下さいね。昨年海釣りデビューを果たし、まさかのビギナーズなんとかで
チヌを釣り上げ、今度はエサではなくルアーでチヌ釣ったる!で、パンパンで破裂しそ
うな頭デッカチになったまま、極寒のオフシーズンに突入したので、只今禁断症状が
出とるわけです。
で、どんな症状があるかと言えば、単純に頭の中で釣り倒すんですね。あそこの磯で
あの辺に投げて、こんくらい沈めて引いて……ヒット!みたいな…。イメージはさらに
ディテールに及び、釣ったチヌのサイズは釣友の記録より1cmデカイ47cm、とか…。
今回は別に釣りの話がしたいわけじゃなく、釣りを想う、の「想う」について。
思えば人生のいろんなクライマックスというのは、この強く想うというその瞬間にあるん
じゃないかと……。
体調不良に苦しんだ空手の大会前、身体がいうことをきかないので、頭の中で何度も
何度も闘った。防御は度外視して、自分の攻撃パターンを繰り返し…。迎えた本番は
一生に一度あるかないかのミラクルが起きて、身体の方が自由自在。今思えばそれは、
自分がイメージしたパターンをトレースしてたのでは?と思うんです。
釣りもそう、異性を想うのももしかしたらそう。想いの中にこそクライマックスはあって、
それが実現した時には同時に、目に見えないくらいゆっくりと色褪せ始めるんじゃない
かな、と。
ああ、頭デッカチを推奨するわけじゃないんです。デッカイ魚を釣った時には手足は
ガクブル、心の臓は早鐘。空手なら打たれたところは痛いし、打った手足には感触が
残っている。例え最上の結果は得られなくても、体験にはリアルな感触がある。
想いと体験。どっちに価値があるというのではなくて、二つはセットで成就し、血肉に
なるという事かなぁ…。でも世の中には身体の利かない人もいる。ぼく自身も身体の
一部に、著しく機能の低下した部分がある。身体の利かない人にとっては、想いは
同時に体験でもあるのだと思う。
最近大勢の子どもたちと出会って、「想う力」不足では?と感じる事がある。こればっか
りは学校で教えてくれる事でもなし…。気の合う子も合わない子もいるけども、子どもは
やっぱりイコール未来。死ぬまでに子どもが想うキッカケになるような事を、いくつかは
したい、とは思う。
玉井 たこ拳 英二
※宜しければポチッとお願いします。
↓ ↓









